インターネットのむかし話と、デジタルと iPad
(こちらの記事は、気が向いた時に追記・編集している記事です。)
わたしは iPadユーザーです。
iPadが大好きです。
iPadを購入して初めのうちは、かなり意識して、頭を柔らかくして、iPadで出来ることはiPadで行うように努めてきてました。(現在進行形です)
もちろん、あちこちに書かれてるとおり、 iPadはパソコンの代わりというわけにはいきません。出来ることもいっぱい増えたけど、パソコンじゃなきゃ自分は無理だというパソコン仕事の方もたくさん居られると思います。
ITコンサル、Webディレクターのような肩書きのわたしには、丸3年経過した現在、9割は iPadで完結するそんな日常になっております。
iPad Pro(第4世代)2020年購入
12.9インチ
ストレージ256GB(88GB使用中)
〈合わせて利用中〉
Magic Keyboard
Apple PencilⅡ
せっかくこんなに高額な iPadを購入したのだからスマートフォンと同じ使い方とか閲覧などに使ってはもったいない!と、購入当初から以下に心がけようと意気込み、現在に至ります。(購入したのはiPad Pro12.9インチです)
- 手元の紙資料を無くす(ゼロにする)
- 仕事カバン、プライベートカバンの荷物を減らす(オンオフ問わずノートPCを持ち歩いていた、もしくはiPhoneでどうにか咄嗟の作業をこなしていた)
- あらゆる物を iPadの詰め込む
4年目に入る現在、完全にこれは出来ていて、わたしの暮らしと仕事スタイルは激変しました。
ほんと今考えたらアナログな大昔です。J-phoneの携帯にカメラが付くってニュースで、カメラが必要か否かがバシバシ議論された。
世のお父さんたちが、外出先を疑われて、何処にいるの??現在地の写真を送って!と言われたら困るとか(笑)懐かしい限りです。
そんな議論してたのに、取れるようになった写真はまだ印刷する手段はないから小さな小さな画面で見るだけ。しかも解像度は最悪で、現在地の検証なんてたいしてできない画質だったと思います。
写真で何処にいるか証拠を送るって、たぶん若い人からしたら違和感しかないですよね。
でもね、GPSが携帯に搭載されるのは、まだまだ先の話なのです。
なんだか、書けば書くほど、頭の柔らかいデジタルネイティブな若者たちから馬鹿にされそうですが、、、ファミコン、パソコンと携帯とともに大人になったのです。自分ではそんな風に思っています。
ずーっとワクワクしながら世の中の進化とともに、年を重ねながら見てきたし、もっというなら、わたしがワクワク空想した世の中には、まだなってません。だから今も、この先の未来についてワクワクしています。
わたしたちの世代が、やっと会社の偉い人になってきて、若くてもすごい人たちもいっぱい登場してきて、きっとここから角度を付けて進化進歩する、そうワクワクしているのです。
ワクワク、ワクワク書きすぎましたが、もう少し、わたしが自身のことを、一応、ITの世界の中の人として、思ってることを書き足しておこうと思います。
少しずつ書き足すと思うので、更新されてたら、また見てください。
ITコンサルというかIT何でも屋という感じで20数年、個人事業主で仕事をさせてもらってますが、大学を卒業してシステム開発の会社に入社したのが97年。
まだ会社にドメインしかなく、各社員メールアドレスは付与されたけど、会社のホームページはありませんでした。
わたしの社会人1年目は、そんな時代です。
日本のインターネットやホームページの登場から iPad登場まで
1997年に、わたしは社会人になりました。
97年は日本に初めてホームページが作られた年です。
ちなみに日本最初のホームページは、神奈川市役所のホームページです。(これ、学生時代やってたOAインストラクターのバイトでも、その後自分で運営する事になったパソコン教室でも、必ず話していてきました。知ってましたか?)
とにかく、97年から日本のホームページが作られていきます。
糸井重里さんとか孫正義さんとか、先見の明って言葉が相応しい物凄い人があちこちにいます。心から尊敬しています。
ホームページってのが少しずつ、作られ始めますが、わたしはずっとつまらないと思っていました。最初から面白かったホームページは、ほぼ日でした。今日のダーリン更新されてるかな?と毎日見に行ってました。でも圧倒的に、面白くないホームページがたくさん生まれていったのです。
もう少し説明します。
当時始まったものを、何でもかんでも否定したい訳ではありません。
わたし自身楽しんでいたサービスもいくつもあります。
でもまだ、人に読んでもらうという存在は新聞がWebで見れてすごい!はあっても雑誌は(たぶん)Webを敵視してたと思うし、次に書く、個人の書く、見せるという楽しみが広がっていかなかったら、きっと面白いWebは誕生しなかったろうと思います。
アルファベット入力しかゆるされないICQとか。
アカウント作って、CGIかな、簡単な仕組みでテキストが公開できる(装飾は多分なかったと思う)シンプル日記サービスとか。
その後、Javaでガシガシ動くゲームやチャット系、ハンゲームとかGREEとか。
日記サービスはその後、素晴らしい、はてなダイヤリーというのが登場して、単語がリンクされていくのが楽しかった。クリックで次々つながるとか、ブラウザの検索がまだ賢くなかったから、はてなキーワードで移動する、ネットサーフィンが楽しくなります。
CGI日記サービスでは、まだよくわからなかった、人の文章読んでコメントするって楽しいんだなってのを知った、コメントする文化が生まれ育っていったように思います。
印刷業界の方々、2000年あたりお仕事させてもらった際、打倒!WEB!とか言ってありました。パンフレットとかチラシがなくなると危機感を持ってあったのかな。
たぶんすぐに、なんであんな事言ってたんだろうってなったと思いますが、デジタルVS紙って雰囲気がありました。
印刷は減ったかもしれないけど、便利になった割合の方が大きいです。
本の購入が便利になりました。
ネットで購入してすぐ届くようになったし、全国の中古本が探せるようになりました。
古本屋をのぞく楽しみは半減したけど、ネットで入手できるようになって、電子書籍ってのもできて、朗読サービスもできて、わたしの生活はどんどん潤っていきました。
iPhone手に入れて、 iPadとiPhoneと同期できて、 写真撮ってPDF化した資料はテキスト検索ができるようになって、電子書籍が登場したからKindleが本棚になりました。unlimitedの契約もして、、、ほんと、 iPadが大活躍してくれています。
2000年ぐらいからずっと変わらず、退屈な存在
大手メディア媒体の情報サイト
1つは、大手メディア媒体。転記転用ばっかりの、ただ紙がネットで読めるよという人たち。
2000年頃は、とにかくいろいろな紙類がネット越しに読めるようになった、という以外特にインターネット万歳!というような感動はなかったです。
そこからだんだんwebマガジンとか、独自の記事の情報サイトが出てきて、少しだけ面白くなってきたかなと思います。
先駆けの日刊イトイ新聞が、当たり前のように毎日オリジナルの内容が次々更新されていた訳ですが、その後、Gigazineとかロケットニュースとかライフハッカー・ジャパンとかどんどん面白いメディアが生まれました。
でもメディアを作るってだけを言えば、イトイ新聞のようなお手本もいるし、ちょっと考えたら思いつく事なので、そんな革命的と言えるような物ではないです。
ただそれぞれの特色がしっかり育っていったので、更新のお知らせをRSSリーダーで受け取りたいとなっていったし、検索してもっと面白いの楽しいのないかなとなっていって。
どんどんインターネットに接続したい、ずっと接続していたい、という気持ちに、人々はなっていきました。
24時間繋がりっぱなしが当たり前の世の中は、面白いメディアやサービスを作ってくれた人たちのおかげですね。感謝。
デジタルならではとはまだ言えない、ソフトウエアたち
2つ目は、デジタルならではのアプ開発です。
手書きをデジタルで、といのは確かに便利になりました。
消しゴムで消すよりbackspaceでさーっと消えて便利です。関数を使った計算ももちろん便利。でもこれって、文書作成を手書きからデジタルにっていう話でした。
A4の呪縛というか、用紙(キャンパス)の呪縛は、強かったです。
しばらくこの、印刷のためにまず用紙設定をしましょうという考え方から抜け出せません。
一太郎とかLotus-123とかWordとか ExcelとかGoogleドキュメントとかどんどん出てきました。これWindows95が発売される前からあったし、フロッピーディスクで動いてました。上に一太郎入れて下に文書を保存する為のを入れて、日記書いてました。
(高校生の頃の話です)
ちょっと話逸れましたが、パソコンNEC98シリーズとかが流行る前、文章作成専用のワープロ(文豪とかoasisとか書院とか)があってわたしも卒論は書院にお世話にな利ましたが、ワープロの進化版みたいな考え方が1つあったと思います。
手書きより活字の方が便利でキレイ。これワープロの考え方です。
ずっとこの呪縛というあ足かせが、ついこの間まであったように思います。
(この記事は執筆途中です。また今度続き書こうと思います。)